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宮城県仙台市宮城野区岩切三所北

この石は鎌倉時代に縁者の供養を目的として建てられた板碑。この地域に板碑は多く残るが、この2基の板碑には次のような伝説が伝わる。

むかし、源義経が兄の頼朝に追われて平泉へ落ち延びていく途中、岩切の高森山で一休みした。その折、弁慶と義経が力比べをするということになった。最初に弁慶が、両手で抱えなければもてないぐらいの石をもちあげて、ぶーん、と投げとばした。その石は山を越え七北田川を超えてその岸辺に落ちた。義経は弁慶よりも大きな石を持ち上げ、力一杯放り投げたら義経の石は弁慶が投げた石よりもさらに遠くまでとんだ。

その後、義経が投げた石は大事に奉られるようになったが、弁慶の投げた石は次第に土で覆われ、石の頭だけが出ているだけになった。ある晩の事、畑の持ち主の夢枕に弁慶が出てきて、「あの石はわしが投げた石だが、今では道行くものに踏まれるだけで粗末に扱われてしまってなんとも口惜しいから、まつってもらえないか」といったという。それからは義経が投げた石も弁慶が投げた石も大事に石神として奉られるようになったという。