宮城県仙台市宮城野区岩切青麻沢
この地は昔、青苧(大麻とともに麻の繊維原料をとる植物)を植えたのことから地名となった。ここに、高さ一丈余りの岩窟があり、古来大日・不動・虚空蔵の三佛を祭ると伝えられている。常陸坊海尊の伝説があり、長寿、中風、眼病にご利益があると伝えられる。
・常陸坊海尊の伝説
村人に久作という者がいた。淳朴正直であったが、長く目病を患い遂には失明に至り、日毎に困窮を極めていった。天和2年(1682年)の4月、一人の老人が来て告げるには、「丑の刻の夜更けに斎戒沐浴して天を拝みなさい。吾はお前が性格が淳朴なのを知り、その目が見えなくなったの憐れにおもう。お前が吾が教えに従えば程なく病は癒えるであろう。」と言い残して忽然と立ち去った。
久作は、老人の教えのごとく天を拝み暫く黙祷していると、やがて星の光が目に満ちて、辺りの草木もわかるようになってきた。いよいよ信心を堅くし、毎夜天を拝み続け三十日余りで目の病は全快したのであった。
かの老人がまた現れたが、その風貌は常人と異なり、白髪朱顔でその眼光は人心射るものがあり、「お前の目の病は癒えたか。」と問われたが、久作は恐れ畏み平伏して仰ぎ見ることができなかった。畏まったまま、「幸いにも慈恩を蒙りまして、目の病は癒えました。感謝の言葉もありません。願わくは御老人のお名前とお住まいをお教えください。」と答えた。老人が答えて言うには「 吾はその昔源義経公の臣下であった常陸坊海尊である。今は名を清悦と改めている。四方を渡り巡り、暫く下野国(現在の栃木県)の出流山中の大日窟に隠遁していたが、今からはこの窟に移り住もうと思う。この窟には何神を祭っておるか。」と。 久作は「村人がかつてより大日・不動・虚空蔵の三佛を祭っております。」と答えると、老人は「それは幸いだ。吾が祈念するところも日月星である。今よりはこの窟を三光窟と称し天長地久国家安泰を祈りなさい。」と言って窟に入られた。
その後、海尊仙は常にこのあたりの山中を遊行しており、ある樵夫がいて、その母親が中風を患っていたので、偶々山中で仙人を見かけ救いを乞うと、仙人は「桑の箸で食すれば、その病は全快し長寿するであろう。」と教えたのこと。その他奇異なことが甚だ多く、因ってこの所に宮社を祠り、青麻岩戸三光窟また青麻権現と崇められ、遠近相伝えて祈願する者が絶えない。