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宮城県仙台市青葉区大倉字岩下

  大倉ダムは、名取川水系大倉川に建設された県営ダムである。高さ82.0m、型式は全国に2箇所しか存在しないマルチプルアーチダムであり、2つのアーチが連なるダブルアーチ式コンクリートダムという珍しい型式である。名取川の治水と仙台市の水がめとして建設された。 戦後、昭和25年(1950)頃より急激に仙台市の人口が増加しはじめ、将来水需要が逼迫する事は目に見えていた。また、仙台港を中心とした仙台、塩竈地域は明治時代より港湾整備が進められており、工業地域整備と共に船舶の入港が増え、工業用水道や寄航船舶への給水需要が増えていた。さらに、河川改修が十分ではないこともあって、大倉川や広瀬川は度々洪水の被害を仙台市に与えていた。特に昭和25年(1950)に発生した集中豪雨は、仙台市中心部に深刻な被害を与え、被害額は当時で約20億円の莫大な被害となった。 こうしたことから名取川水系の治水と、仙塩地区の工業地帯への用水供給、さらに穀倉地帯である仙台平野への新規灌漑用水供給を目的としたダムが計画された。名取川本流と広瀬川にはダム建設の適地が存在しなかったため、碁石川と広瀬川最大の支流大倉川にダムを建設して名取川の治水と利水を図ろうとした。 大倉ダムの建設で、大倉地区の中心が水没対象となり、58戸63世帯が水没することとなった。補償交渉では、当事の大倉ダム建設事務所所長と住民側の建設反対期成同盟の会長が結託し、補償金の一部を着服するなどの事件が発覚するなど混乱したが、最終的には補償交渉は妥結した。 ダムは4年の歳月を掛けて昭和36年(1961)に完成した。