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宮城県松島町根廻字蒜沢

震災前取材

蒜沢の元禄潜穴ずり出し穴の近くに、一宇のお堂がある。「俗名まん、享保十七年七月十七日」と刻まれた地蔵尊が祀られており、「おまん地蔵」と俗称されている。

享保年中(1716~36)は大雨・洪水が多く米作の損害は甚大だった。穴川も土砂がつまり排水が著しく阻害されたため、穴払い(隧道の土砂出し)の第一回藩直営改修工事が行われた。工事は人夫頭の見込み違いから大損をしてしまい、人夫賃の支払いができなくなってしまった。そこで悪計を企てた人夫頭は工事が出来上がった日、潜穴の中程に人夫たちを集めて慰労の祝宴を開いた。

美人で唄の上手なおまんも乞われてその座に加わっていた。人夫たちの酔がまわったころを見はからって、穴頭(隧道入口)の締め切り土俵を一気に切って水を流した。人夫達は急激な濁水に押し流されて、溺死をし、その死体は高城川まで運ばれ、惨状目をおおうものがあった。

おまんも人夫達と同様、濁流の中で十六歳という花の蕾の短い一生を閉じた。これを哀れんだおまんのおばが慰霊のため地蔵を建てたといわれている。