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宮城県多賀城市市川字奏社

震災前取材

 

陸奥総社宮は、多賀城政庁府東門跡地と加瀬沼との間の鬱蒼とした木立の中にある。

神亀元年(724)、陸奥の国府および鎮守府として置かれた多賀城の地にある陸奥総社宮は陸奥の神が祀られ、中央から赴任した国司が自ら祭司となり祭り事を執り行ったという。

醍醐天皇の延喜年中に、全国から由緒のある社を選び、3132座を神名帳に載せた。この内、188座を大社とし、他を小社とした。これを延喜式内社といい、国司に命じて幣帛を供進させて、後に参進の便を図るため、各国府の地に合祀して総社というようになった。

陸奥総社は、陸奥国100座を合祀する総社で、奥州留守職伊沢氏は3000刈田の斎田を寄せ、後村上天皇が陸奥の太守として多賀の国府にいたときは、神護祈念をここで懸けたという。江戸時代に入ると、伊達氏もまた、藩祖政宗以来、歴代の藩主が祈願のあるときは藩主自ら社参する事が例となっていた

 

・大杉と白木蓮

境内には南北朝時代からの樹齢600年の老杉と、江戸時代からの樹齢200年の白木蓮の古木がある。

老杉に 白木蓮の 花化粧

昔より誰からともなく愛され、詠まれ、語り継がれてきたこの杉の巨木と白木蓮を対称して、人々は長寿で仲の良いうるわしい夫婦に見たて、家族円満、幸せの神樹として慈しみ尊敬されてきた。東北では古くから木蓮の白い花を農作業の目安として「種蒔桜」とも呼んでいる。