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宮城県塩竃市旭町(東園寺)

震災前取材

別名:駒犬城

現在の塩竃市役所のすぐ裏手の断崖上にあり、現在は東園寺となっている。

塩竈の津の入口で切り立つ半島地形をうまく利用した要害の地で、周囲には三段にわたり平坦部がめぐらされ、山頂が平坦な梯段式城郭の形態をなしている。

平安時代末期の建久元年(1190)、留守氏が築城し、南北朝時代岩切合戦に留守氏が敗れたおりに、岩切城を落ち延びた留守氏がたてこもった「虚空蔵館」はこの狛犬城ともいわれている。岩切合戦で留守氏が敗れ没落すると、奥州府中管領吉良氏の居城ともなった。

その後、留守氏の旧領が復すると、留守氏家臣筆頭の佐藤氏の居城となった。しかし、政景が伊達から養子として迎え入れられると、留守家中は二分し、佐藤氏は村岡氏とともに政景に反旗を翻した。これに対し、元亀4年(1573)、政景は狛犬城を攻撃してこれを陥落させ、佐藤氏は没落した。さらに天正18年(1590)秀吉の奥州仕置の結果廃城となった。