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宮城県南三陸町志津川字小森

震災前取材

源義経が平家追討の折りに、紀州那智の豪族鈴木三郎重家が義経の勢に加わった。その後、重家は源頼朝の勘気をうけた義経に従い平泉に落ち延びた。

重家は、妻「小森御前」と長男「重長」を紀州藤白に残してきていた。小森御前は夫が奥州平泉で平穏に暮らしているとの報を聞き、子どもと乳母等とともに奥州を目指した。

しかし、この志津川の地に辿り着いたときに、夫重家は、弟の亀井六郎と共に衣川の戦いで討ち死にしたことを聞き、乳母とともに この地で自害したという。

村人達はこれをあわれみ、その場所に祠を建て、今でも「小森御前様」と呼んで祀っている。

 

※この地は2011年の大津波によりすべて流されたようです。