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宮城県登米市南方町本郷大嶽…興福寺

震災前取材

大同2年(807)、坂上田村麻呂が創建したと伝えられる。開山以来、修験の道場として栄えていたが、戦国期に戦火に焼かれ一時中絶したが元和2年(1616)に再興された。

宝永5年(1709)、落雷により消失したが、仙台藩主伊達綱村により再興され明治に至り、明治21年(1888)修改築を行った。

観音堂の回廊外壁には二十四孝物語と呼ばれる中国の親孝行物語が、色鮮やかに描かれている。これは次のような物語である。

 

・孟宗
孟宗は、幼い時に父を亡くし年老いた母を養っていた。病気になった母はある冬に筍が食べたいと言い出した。孟宗は竹林に行ってみたが、冬に筍があるはずもない。それでも孟宗は、天に祈りながら雪を掘り続け筍を探した。すると、あっと言う間に雪が融け、土の中から筍が沢山出て来た。孟宗は大変喜び、筍を採って帰り、熱い汁物を作って母に与えると、瞬く間に母の病が癒えたと云う。

・楊香
楊香はある時父と山に行った際、獰猛な虎が二人の前に現れた。虎は今にも2人に襲い掛かろうとする様子だった。楊香は虎が去るように祈ったが虎はそれが叶わないと知ると、父が食べられないように「天の神よ、どうか私だけを食べて、父は助けて下さい」と懸命に願った。すると、それまで猛り狂っていた虎が尻尾を巻いて逃げてしまい、父子共に命が助かったと云う。

 

また、境内の六角堂は、明治時代に建築された和洋折衷の斬新な建築物として知られる。