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宮城県登米市中田町浅水

2012/09/07取材

 

別名:玉山館

月輪館跡の主郭は、標高約111mの、水越玉山鳥討嶺山頂にある。東西約60m、南北約120mで、周囲を二重の壕が囲んでいる。東は断崖絶壁、眼下には北上川が流れ、山全体が要害の地といえるが、主郭の壕以外に、中世の山城としての技巧は見られない。自然の地形をそのまま利用した、古代城跡のチャシだったものを、山頂部の主郭のみに手を加えたものと考えられる。

地理的には寺池城を中心とした葛西氏の支城と思われ、城主として月輪六郎、七郎の名が伝えられるが定かではない。

また、この地の言い伝えによれば、迫城主藤原師門の家臣の月輪六郎、七郎は、天文19年(1551)の迫合戦で、出羽国主八条秋長と戦い、主君師門の身代りとなり自刃し、弟六郎も討ち死に、月輪館の留守を守っていた妹の折居姫もまた、討峰中腹で自害して果て、月輪家は滅亡したと伝えられる。

しかし、これらの伝承は、葛西氏の内紛をモチーフにした、後世の仙台浄瑠璃などでの創作と考えられる。