宮城県気仙沼市三ノ浜

2011/03/11取材

別名:鶴亀大橋

この橋は、気仙沼市街地と気仙沼大島を結ぶ橋として,平成三十一年(2019)春に完成した。別名、鶴亀大橋の愛称でよばれるこの橋は,全国でも珍しい大型のアーチ橋です。

大島への架橋は、50年以上前から望まれていた気仙沼市民の悲願だった。平成二十三年(2011)三月十一日の東日本大震災により、東北地方の太平洋側被災3県を中心とした地域に、災害復旧復興の機運が湧き上がり、「復興のシンボル」として整備事業が推し進められた。

大橋が開通するまでは、大島と本土は一般旅客船定期航路で、大島汽船が運営していた。東日本大震災では、所有する船舶七隻全てが被災したが、他社から船舶の応援を受け発災から約二十日間で旅客船の運航を再開した。

この地には個人が経営する連絡船もあった。菅原さんが所有するひまわり号だった。菅原さんは押し波が寄せてくる中、沖へ向かってひまわり号を全速で走らせた。大波を乗り切り、海で一夜を過ごし戻ると、島と気仙沼の町は瓦礫の中にあった。

気仙沼港へ停泊すると、ボーボーとエンジンを鳴らすひまわりを見つけた人達が次々にやって来た。大島へ渡る船が流され、大島へ行けない人達が島の様子や島民を心配し、菅原さんにすがりついた。菅原さんとひまわり号は、この日から無料で、毎日、大島と気仙沼間を何往復も走り、大島と気仙沼を結ぶ足となった。

ひまわり号は、震災後も気仙沼と大島間を走り続けたが、2019年3月「気仙沼大島大橋」が建設され、引退することになった。ひまわり号は解体されることになったが、ひまわり号に助けられた人々を中心に、震災遺構として保存運動が起き、現在、保存作業が行われている。