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宮城県栗原市栗駒岩ケ崎字桐木沢

震災前取材

 

大同2年(807)、坂上田村麻呂が蝦夷征討のためこの地に滞陣し、そのとき霊夢を見て、守り本尊として兜に埋めてあった金銅仏の聖観世音像を観請し開山したと伝えられる。西国三十三ヶ所、第十六番の札所京都の清水寺と地形が似ていることから、その寺に擬して建立したと伝える。初崎大悲閣と称し、この地方の古刹。

貞応2年(1223)、三迫の里谷森館城主、平師門らによって、七堂伽藍に水屋、鐘楼、庫裡等が建てられ、浄土庭園が造られた。庭園には、師門夫人の「千寿の前」にちなみ、千寿の池、千寿の松の名を残している。また、庭園の一角に、能化大和尚参禅のみぎり、その修法によって割れたと伝える「法割の石」がある。

その後、幾度かの山火事にあい荒廃したが、この地方の古刹霊場であることから、庶民の信仰を集め、境内にはさまざまな民俗信仰の痕跡が残っている。

境内の祠は、大正の頃、町の飲食店が商売繁盛を願い建てたものだが、男への呪いのために立てられたと伝えられる巨大な男性器が奉納されてもいる。また亡くした子供の成仏を祈り立てられたという観音碑も立っている。

かつては、8月10日の縁日は、この日に参詣すれば5万6千日参詣したと同じご利益にあやかるといい、町を挙げてのもので、前夜から近郷近在から人が集まり、夜提灯をぶら下げて物売りが石段附近にまで溢れ、本堂前は参詣人とガス燈のにわか店でごった返したと伝えるが、今は昔話になっている。