岩手県一関市東山町長坂町

2011/12/07取材

 

創建は鎌倉時代の初期建久元年(1190)、この地を領した唐梅城主の千葉刑部少輔頼胤が、紀州熊野より熊野三所権現の神霊を奉遷し、この地の鎮護の神として、現在地より南の小高い「上の山」に祀ったのが始まりとされる。

創建当初、神社の奉仕別当職は、伊達信夫郡大越城主佐藤小四郎信女と伝えられ、城主千葉頼胤より社領として27貫を寄進され一寺を創建し、熊野山萬福寺と号して千葉家代々の菩提寺並祈願所として祭事に当った。

歴代領主の崇敬を集め、その後の興国元年(1340)に火災のため焼失した際には、時の城主長坂千葉大膳大夫により再建された。また葛西家からも社領17貫文の寄進を受けている。

葛西氏没落後も伊達氏から庇護を受け、毎年祭日には伊達藩から歩卒が派遣され、祭事の警固に当たった。享保2年(1717)本殿を造営、明治3年に神仏分離により村社熊野神社となった。現在の社殿(本殿・幣殿・拝殿)は昭和6年(1931)に改築されたもの。

境内には、樹齢約600年の杉と欅の老木が寄り添うように繁る「夫婦神木」があり、縁結び、夫婦円満、子宝授受、子孫繁栄などに霊験があるとされる。

ここで、神社の奉仕別当職に、伊達信夫郡佐藤小四郎信女とあるが、平泉征討の鎌倉勢と戦った、信夫の佐藤庄司基治の一族と考えられる。佐藤一族は、奥州合戦後に没落したが、元吉など各地に飛び地を持っていたようだ。この東山の地には、平泉滅亡の際の落人伝説が多く残っており、この地もそのような飛び地だったのかもしれない。