岩手県北上市稲瀬町内門岡

2014/05/10取材

 

別名:偵岡神社

延暦21年(802)、征夷大将軍坂上田村麻呂が胆沢城を築き胆沢郡を置いたとき、鬼門の北東の隅を偵岡とし、そこに偵岡神を鎮座させた。大同3年(808)には江刺郡を置き、弘仁2年(811)には江刺郡の北に和賀郡を置いた。

文徳天皇は天安元年(857)、禎岡神の遥拝所を国見山に建て神社とし、極楽寺に別当を命じた。このときから極楽寺は政府経営の官寺となり、僧が祝詞を奏し舞楽も行い神社を守り続けた。

式内社として、祭礼には国司も奉幣し崇敬を集めていたが、度々の野火ですべてを失い廃れていた。明治に入り、国見山神社と改称し、村民全てが氏子となり今も地域の崇敬を集めている。