岩手県北上市立花(みちのく民俗村内)

2014/05/10取材

 

現在の北上市は、仙台伊達藩と盛岡南部藩の藩境になっており、みちのく民俗村の敷地内に、その藩境塚が残っている。伊達藩と南部藩の間には領地争いが絶えなかった。このために両藩は、藩境をはっきりさせるために藩境塚を作った。その数は数百ヶ所に及び、奥羽山脈の駒ヶ岳山頂から太平洋岸に至るまで、約120kmにわたって要所に築かれ、主要地点には両藩の番所が置かれていた。この細い沢は間の沢と呼ばれており。この沢が藩境になっており、この沢を挟むように両側に塚が築かれた。

この藩境の争いについて、この近くの相去(あいさり)というところに、次のような話が伝えられている。

昔、伊達の殿様が南部の殿様に藩境を決めようと手紙を送った。その手紙には、「同じ時刻に、互いの城を午に乗って出て、出会った場所を藩境としよう」と書いてあった。南部の殿様は、牛に乗ってゆっくりと進んでいたら、向こうから、伊達の殿様が馬に乗ってやってきた。南部の殿様は「約束が違う」と怒ったが、伊達の殿様は、「手紙を良く見よ。牛(うし)ではなく、午(うま)に乗ってと書いてあるではないか」と一蹴した。これにより藩境が決まり、互いに去って行った場所であることから「相去」という地名になったという。

 

・お駒堂

藩境西の起点の駒ケ岳は、駒形神が鎮座する山として古代から崇められていた。山頂には馬頭観世音を祀る「お駒堂」と呼ばれる社があり、伊達藩と南部藩は、両藩折半でお駒堂を修理改築することが取り決められていた。

昭和43年()、お駒堂はコンクリート製の堂に改築されたが、お駒堂は神社建築としても貴重であり、また藩境の歴史を伝えるものでもあり、この間の沢に再現された。