岩手県遠野市小友町26地割

2014/05/09取材

 

能傳房神社は国道107号線の荷沢峠近くの雑木林の中に鎮座している。

昔、この小友地区では金が産出し、金を求めて多くの者が山中に分け入った。某なる者もこの地に入り採金を行っていたが思わしくなく、困窮していた。そのような折にたまたま出羽より能傳坊と寶覚坊の兄弟法師が通りかかった。

某は、この両法師に金の所在を法力により示されんことを懇願し、幸いにもその両法師の法力により、金を掘り当て大繁盛した。しかしこの某なる者は強欲で、無情にも翌春には両法師を着の身着のまま追い出した。

両法師はその無情を恨み、この地に留まり三七、二十一日間、荊の芽を食べながら怨みを晴らさんと呪詛した。満願の日になると、俄かに大雨が降り、金山はもちろん、人も馬も小屋も流失し、両法師もその場で倒れ土砂に埋もれてしまった。

その後、天明年間(1781~89)の大飢饉のとき、里人が山に入り蕨の根を掘り起こすと人骨が出てきた。古老に聞くと伝説の兄弟法師の骨であろうと言い、これを埋めて塚を築いた。これがこの地の能傳房神社の始まりとされる。

この能傳房は、何人に対しても、一生一度は必ず願い事を聞くと伝えられ、御利益を得んと参拝する者が年中絶えなかったと云う。もう一方の寶覚坊は、水銀発掘の法力者で、辰砂山での水銀発掘の技師との説もあり、この神社境内の小高い所にある小祠に祀られている。

また別伝では次のようにも伝えられる。

この町は、能傳坊兄弟の法力で金が発見され賑わった。能傳坊は「私が死んでも神として祀れば繁栄は続くが怠れば凶事が起こる」と遺言を残して死んだが、町の人達は祀らずにいたので町は全滅したと云う。