岩手県盛岡市八幡町

震災前取材

盛岡八幡宮は康平5年(1062)「前九年の役」の折に、陸奥鎮守府将軍の源頼義、義家父子が奥州安倍氏の安倍貞任、宗任兄弟平定のため山城国男山八幡大神を不来方(こずかた)に勧請し、武運を祈願したのが始まりと伝えられる。

この後、この八幡社は「鳩森八幡社」と奉称され信仰を集めたが、三戸南部第二十六代の南部信直が不来方に築城し、八幡大神を氏神としていた南部氏は「鳩森八幡社」をそのまま城内へと勧請し、領内鎮護の神として祀った。

南部家中や城下の民衆にも自然に八幡神を崇敬するものが多くなり、崇敬の中心となるべき八幡神社の造営が必要とされ、寛文11年(1671)、盛岡三代藩主南部重信が、新八幡宮造営を行い、延宝8年(1680)、「盛岡八幡宮」として完成した。