岩手県大槌町宮ノ口

2013/10/06取材

 

源義経は、兄の源頼朝に追われ平泉へ逃れたが、文治5年(1189)、平泉の高館において31才で自刃した。しかし義経はその1年前に平泉を脱出し蝦夷地に逃れたとする伝説が、岩手県、青森県に多く残る。いわゆる「義経北行伝説」であり、この宮の口判官堂に伝えられる伝説もその一つである。

平泉を脱出した源義経主従は、三陸沿岸を北上し宮古に向かった。その途中、この宮の口で野宿をしたとされ、後に里人たちが義経をしのび、祠を建て「判官様」と呼んで尊崇してきたと伝えられる。

この地域一帯は、信夫庄司佐藤基治の三男で、佐藤嗣信・忠信の兄弟である佐藤信正が治めていたとされ、信正を頼ってこの地に入ったとされる。

この地の義経伝説は、平泉滅亡後に起きた奥羽全域に渡った「大河兼任の乱」がモチーフとも考えられる。