岩手県宮古市田代

2016/04/08取材

 

源義経は、兄の源頼朝に追われ平泉へ逃れたが、文治5年(1189)、平泉の高館において31才で自刃した。しかし義経はその1年前に平泉を脱出し蝦夷地に逃れたとする伝説が、岩手県、青森県に多く残る。いわゆる「義経北行伝説」であり、この久昌寺に伝えられる伝説もその一つである。

この久昌寺の地には、かつて源氏の一族である源義里が居館を構えており、平泉を脱出した義経主従が北へ向かう途中立寄ったと伝えられている。義経はこの地をあとにし、三陸海岸沿いに八戸に向かう。またこの久昌寺には、源義里の妻源氏御駒が長久息災延命をいのり奉納した鰐口が残っている。

この地域は奥州合戦以降は、源為朝を祖とする閉伊氏が治めていたが、閉伊氏はその以前からこの地域に何らかの関わりを持っていて、一族の源義里を置いていたとも考えられる。