岩手県八幡平市松尾

2017/05/13取材

 

この地は、蝦夷の長のアテルイが居住していた地と伝えられるマトーコタンの伝説の地である。

アテルイは各地で朝廷軍と戦い恐れられたが、遂には坂上田村麻呂と戦い捕らえられ都に引き立てられ首を刎ねられた。

この地に残されたアテルイの子の登喜盛らは、朝廷軍に対して頑強に抵抗したようで、この地を居城として立て篭もり、時折館を出ては各地を襲い、朝廷軍を悩ませた。

あるとき登喜盛らは、盛岡の大宮に住む神子田多賀康の娘の岩花を、家宝のお釜とともに拉致しこの地に幽閉した。囚われの身となった岩花は、長者屋敷の木戸の石の上に、自分の目印としてお釜をのせて、ひたすら助けを待った。

神子田多賀康は、娘岩花の救出を坂上田村麻呂に依頼し、田村麻呂は早速討伐に向かい、登喜盛一族を討ち岩花を救出した。

岩花がそのとき石の上に置いたお釜が、その後の長い年月の間に岩穴になり、いつしか水をたたえるようになった。その量は、水桶で八杯もあると言われており、農繁期や水不足の場合は、お釜の水をかき回せば大雨になると伝えられる。

この地の近くには、長者屋敷清水など湧き口が八個所あったとされ、それぞれに類似の伝説が伝えられている。