岩手県八幡平市松尾寄木

2017/05/13取材

 

別名:御護沼

南部藩の支藩遠野藩藩主の南部弥六郎はある時、奥方と一緒に平舘に遊び、土地の者の勧めで赤川の替鞍淵でヤス使いの名手を呼び川狩りを楽しんだ。この時、遠野では見た事も無いほどの大きな鰻が捕れ、殿様は大喜びで「直ぐに料理して食膳に上げよ」と命じ、奥方と二人で賞味した。実はこの鰻は、女護沼の主だった。

このとき奥方は身篭っており、やがて月満ちて一人の姫を産んだ。しかしその生まれた姫の顔には、ヤスで突いた様な痕跡があり、顔一面に斑点が広がっており、見るも憐れな顔だったという。それでも夫婦は、不憫な姫と思いながら慈しみ育てた。

夫婦はその傷跡と斑点を消せないものかと手を尽くしたがその効果はなく、姫も、花も恥らう17歳になった。そんな時、松川温泉の湯が効くと勧める者がおり、藁をもすがる思いで、殿様夫婦は姫を湯治に赴かせた。

姫の籠がこの女護沼に差し掛かると、姫は籠の中から「ああ、良い気分じゃ。暫く景色を眺める故、籠を止めよ」と言う。付き人が籠の戸を開けると、姫は忽ち蛇体になり、
「我が母の胎内に在りし時、替鞍淵の主である斑鰻を父母が捕らえて食したる因果により、世にもあるまじき面貌となってしまった。我は今より、この主無き沼の主となろう」
と言い残し、忽ち沼の中に消えていった。

その後、遠野の南部家では、毎年盆の時期になると、奥座敷に膳部を供え、家人の出入りを禁ずる。すると夜に蛇体となった姫が現わ、1年間の無沙汰を謝するという。姫は、その奥座敷に訪れた印として、鱗の一片を残して去るという。この時期、女護沼のある松川では、沼の主が留守になるため、必ず暴風雨が起こるとも伝えられる。

また今も、この女護沼には草が生えた浮島があり、風のまにまに南岸、北岸と漂っている。これは姫君のカモジであるとも伝えられている。