岩手県八幡平市藍野々道ノ下…地蔵寺

2013/06/10取材

南北朝時代、北朝年号の延文2年(1357)に建立された時宗板碑である。江戸時代には、鹿角二万石の奇物とされ、いにしえに空海上人が地方遍歴の折にこの地を訪れ、高位貴臣である安保中納言の墳墓を弔い、「南無阿弥陀仏」と白帛に墨書して堂内に納めた。

その後、南北朝時代になり、この空海上人の揮毫を惜しみ、これを石碑に刻み建立されたものと伝えられる。もとは殿坂の地にあったものが、幕末期に現在の地蔵寺の境内に移されたと云う。

板碑は、関東地方から発生したもので、鎌倉時代に各地に配された御家人が広めたと考えられる。岩手県内では、板碑は南部に多く分布し、県北や鹿角地方では希少である。またこの地域は南朝勢力が有力であったが、一時的にこの地は安保氏などの北朝方が領したものと考えられる。>>