岩手県遠野市松崎町光興寺第一地割

震災前取材

  • 太郎淵
この太郎淵には、かつて太郎という河童が住んでいた。近所の集落の女達が、この淵で洗濯などの水仕事をしていると、水面から顔を出し、女達を下からのぞくなどいつも悪さをして困ったという。

それでもこのような太郎河童にも言い寄る女河童が、この地の下流の淵に住んでいたと云い、女ヶ淵と呼ばれている。

この地には、河童像が置かれており、観光資源としての必要からか、親しみのあるキャラクターとして扱われているが、この地に伝えられる河童の話は、そのようなものではないようだ。それによれば、

この松崎村の猿ヶ石川には、河童が多く住んでいた。この河童は、村の女の寝床に忍び込み、この村の川端の家では、二代続けて河童の子を宿した者もあった。生れた子は極めて醜怪で、斬り刻んで一升樽に入れ土中に埋めたと云う。

とある家の者が、ある日畑に行き夕方帰ろうとすると、この家の嫁が、川のみぎわにうずくまり、にこにこと笑っている。次の日の昼の休のときにもこのような事があった。そうするうちに、次第にその女の許へ、夜な夜な通う者がいるという噂が立った。始めは、婿の留守の時だけだったのが、後にはその女が婿と寝た夜でさえ来るやうになった。

河童が通っていると云う評判が次第に高くなり、一族の者が集まり対策を講じたが何の効果もなかった。そこで婿の母が、その嫁の側に寝ることになったが、深夜に嫁の笑う声が聞こえ、河童が来ている様子があったが、立ち上がろうとしても金縛りのようになり、身動きすることが出来なかった。

結局どうにもすることが出来ないうちに、嫁は身ごもり、その産は極めて難産だったが、馬槽に水をたたえて、その中で産めば良いと云う者があり、そうしたところ安く産まれた。その子は手にみずかきがあり、この娘の母も、かつて河童の子を産んだことがあったと云い、この地の河童の被害は、二代や三代の因縁だけではないと伝えられる。