岩手県岩手町御堂第3地割

2014/08/22取材

弓削の清水は北上川の源泉で、御堂観音堂境内にある。その由来について、次のような伝説が残されてる。

平安時代の天喜5年()6月、源頼義、義家父子率いる朝廷軍は、この地方の豪族の安倍一族を討つため軍を率いこの地に進軍してきたが、打続く炎暑に兵馬とも疲弊し、義家はこの地に兵を休めた。

義家は近くの小高い山に登り見渡すと、遥か前方に巨大な杉の木を見つけた。義家は霊験を感じ戦勝を祈願し、天に向かい矢を放った。矢は高く遠く、大杉の方向に飛び去った。

義家は矢の飛んだ大杉の方角に馬を進めると、放った矢は大杉の根元に刺さっていた。義家は、矢の刺さった大杉の根元を、手にしていた弓弭で突くと、にわかに清水がコンコンと湧き出し、兵たちはこの清水を飲み生気を取り戻した。

源頼義、義家父子はこれを吉兆とし、この地に仏堂を建立し観音を安置し、安倍一族の征討に向かい、のちに「前九年の役」と言われる長く続いた戦乱を鎮圧したと伝えられる。

義家が「弓弭」で掘って湧き出たとされる清水は「弓弭の泉」として人々からあがめられ、今も涸れることなく御堂観音の地に湧き出でいる。