岩手県岩手町御堂第3地割

2014/08/22取材

大同2年(807)、坂上田村麻呂が蝦夷征討の際にこの地に到り、立木十一面観音を自ら刻み、祈願所として「正覚院」を建立し、一族の僧了慶を開基としたと伝えられる。また源頼義、義家父子が、前九年の役の際にこの地に立ち寄り、仏堂を建立し観音を安置したとも伝えられる。

この地は北上川の源流にあたり、清水が湧出していることから、古くから人々の信仰の対象となっていた。平安時代に入り蝦夷地の開拓に際し、天台宗の僧侶などがこの地に入り布教をしていたと考えられる。

宝暦8年(1758)、堂宇が火災により焼失すると、八幡太郎義家に由緒のある堂として、時の南部藩主が復興を作事奉行に命じ再建された。その堂も昭和43年(1968)の雷火により焼失し、現在の堂は昭和45年(1970)に再建されたものである。