岩手県平泉町平泉字柳御所

震災前取材

 

卯の花清水は高館義経堂のから下った所に湧き出る清水。この清水の由来は、元禄2年(1689)に松尾芭蕉と共にここを訪れた曽良が、「卯の花に兼房みゆる白毛かな」と句を詠んだ事による。

文治5年(1189)、藤原泰衡により高館が攻められ、兼房は主君義経とその妻子の悲しい最後を見とどけ、死力を尽くして奮闘し、敵将諸共燃えさかる火炎の中に飛び込んで消えた66歳の白髪の老臣とされる。曾良は、この白髪の老臣が、髪を振り乱しながら奮戦し、遂には死を遂げた様を、白く咲き乱れる卯の花に例えて句に残した。

ただし兼房は、室町時代初期に成立した軍記『義経記』に、十郎権頭兼房として登場する架空の人物である。義経記では、源義経の北の方である久我大臣の姫の守り役で、元は久我大臣に仕えた63歳の武士。義経の都落ちに北の方と共に付き従う。平泉高舘での義経最期の場面では、北の方とその子である5歳の若君・亀鶴御前と生後7日の姫君を自害させ、義経の自害を見届けて高舘に火をかける。巻八『兼房が最期の事』では敵将長崎太郎を切り倒し、その弟次郎を小脇に抱えて炎に飛び込み壮絶な最期を遂げた。