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福島県桧枝岐村下ノ台

震災前取材

  • 六地蔵
この地は山間の冷涼な地で、昔から冷害に悩まされ、また耕作地は限られており、凶作の年は「餓死年」と呼ばれ、食べるものも限られ多くの餓死者を出していた。

働ける者が生き残るために、働けない赤子や小さな子供を「間引き」するという、悲惨な行為がこの地では行われたと伝えられる。

この地の「六地蔵」は、それらの間引きされた者たちの霊を慰めるために建てられた、6体の稚児像である。