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福島県塙町塙字川向道上

  • 向ヶ丘公園
向ヶ丘公園は、 江戸期に窮民救済事業として造られた庶民公園である。

寺西重次郎封元は、寛政4年(1792)、天領であったこの地の代官として塙の地に来た。当時、この地の農民は貧しく、子を間引きする習慣もあり、人々の心は荒んでいた。寺西は、農民心得を著わし、悪弊を改めるよう指導し、赤子養育費や子育手当金を支給し人口増にも尽力した。また農民の生活向上のため、開墾や治水事業を行い、寛政5年(1793)、窮民対策事業としてこの地に庶民の公園である「向ヶ岡公園」を造り、農民に現金収入の道を開いた。

また、幕府から五千両を借り受け、近隣の大名や私領の農民に年利一割で貸し付け、その利子を農民救済資金とした。この地で22年間つとめ、文化11年(1814)、桑折代官所へ移り、塙・小名浜・桑折・川俣の幕領十四万石を治めた。

園内には、文政2年(1819)に建てられた、寺西代官の顕彰碑である「誕育塚」があり、また県指定天然記念物の枝垂桜がある。