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福島県湯川村勝常字代舞

 

勝常寺は大同2年(807)、徳一上人によって開創された東北を代表する古刹である。創建当初の寺院名は定かではないが、中世以後は勝常寺と称している。別称会津中央薬師と呼ばれており、会津仏教の中心的存在の古刹で、創建当時は、七堂伽藍が備わり、盛時には多くの附属建物が建ち並び、十二の坊舎と百余ヶ寺の末寺を有する一大寺院であったと伝えられる。

創建時は、講堂を起点として、南に向って大体等間隔に金堂、中門、南大門の位置が一直線上に立ち並んでいたと思われ、三重の塔跡が中門の外東側にある。その他、経蔵、鐘楼、僧坊等があったと考えられる。本坊は現本坊の区画内に、南向に建てられており、中門の前の路を通り本坊へ達したと考えられ、東大寺に似た伽藍配置であった。

応永5年(1398)に火災により焼失し、室町時代初期に、葦名氏重臣の富田祐持により再建された。現在残る薬師堂はこのときのもので、寄棟、銅板葺、5間四面、四柱造りで、国の重要文化財に指定されている。天正17年(1589)、伊達政宗の会津侵攻の際に、講堂(現薬師堂)以外は兵火で焼失したが、講堂が焼失を免れた事もあり、現在国宝に指定されている本尊薬師三尊像をはじめ、多くの仏像や寺宝が残り現在に伝えられている。

この勝常寺には、現在も念佛踊りが伝えられており、「会津念佛踊り」と云われ、空也上人(900~970)の頃から始まり、一遍上人(1239~1289)の頃に盛んになった。踊りは念佛を唱えながら、手を舞い足を踏む踊りを信仰と供養に導き、併せて天下泰平と五穀豊穣を祈願するものとされる。