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福島県須賀川市本町

  • 可伸庵跡
 

松尾芭蕉は、元禄2年(1689)旧暦4月22に須賀川に到着した。須賀川ではほぼ一週間相楽等躬のもとに滞在したが、相楽等躬の屋敷の一隅に庵を結び隠棲していた僧であり俳人の可伸をしばしば訪ね、そのゆかしさに深くうたれ一句をもたらしている。

世の人の 見付ぬ花や 軒の栗  …芭蕉

可伸は俳号は栗斎、俗名は、簗井弥三郎、詳細は不明である。「奥の細道」には、「此宿の傍に、大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧有」と書かれており、また留書には「桑門可伸のぬしは栗の木の下に庵をむすべり」と書かれている。

芭蕉は可伸の庵で相楽等躬らとともに、七吟歌仙を催し、「かくれ家や目だゝぬ花を軒の栗」を発句として吟じられた。

等躬屋敷の片隅でひっそりと暮らしていた可伸だったが、芭蕉が立ち寄り句会を開いたことで思いがけずに時の人となってしまい、庭先に植えてある食用の栗の木も一躍名所になってしまった。可伸はこのようなことに多少の戸惑いを覚えたようで、後に次のように書きとめている。

予が軒の栗は、更に行基のよすがにもあらず、唯実をとりて喰のみなりしを、いにし夏、芭蕉翁のみちのく行脚の折から一句を残せしより、人々愛る事と成侍りぬ。

梅が香に 今朝はかすらん 軒の栗  …可伸

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