福島県須賀川市稲御所舘

2011/05/27取材

 

この地は稲村御所の北郭にあたる。明徳3年(1392)、南北朝合一により、将軍足利義満は陸奥と出羽を鎌倉公方足利満兼に命じ管轄させた。これにより、満兼は応永6年(1399)頃、弟の満貞をこの岩瀬郡稲村に、同じく弟の満直を安積郡篠川に下向させ、鎌倉府の出先機関として国人勢力を統治させた。満貞は稲村に居館を置き、稲村公方と呼ばれ、居館は稲村御所と呼ばれた。

この赤城神社は、このとき上野の赤城神社本宮より、祈願所として勧請したものと考えられる。