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福島県三春町滝字桜久保

震災前取材

三春の滝桜は日本を代表する桜の巨木で、日本三大桜の一つといわれ、西の淡墨桜(岐阜県)に対して東の横綱に位置づけられている。4月中旬から下旬にかけて、四方に伸びた太い枝から、薄紅色のちいさな花がほとばしるかのように咲き競い、その様はまさに滝が流れ落ちるかのように見えることから、滝桜とよばれるようになったといわれている。エドヒガン系の紅枝垂桜で、大正11年(1922)国から天然記念物指定を受けた。樹高は13.5m、根回りは11.3m、枝張りは幹から北へ5.5m、東へ11.0m、南へ14.5m、西へ14.0mの巨木である。 樹齢はおよそ1000年から1200年と推定される。

この滝桜がこの地に根付いた時期の陸奥は、坂上田村麻呂や前九年の役などの伝説の時代になる。とくにこの三春を中心とした田村郡は、坂上田村麻呂伝説の上に成り立っている。

伝説によれば、坂上田村麻呂は蝦夷征討のためこの地に来たり、仙道寺山鴻野原に陣して戦うことが久しかった。在陣中にこの地の娘をみそめ、娘は田村麻呂帰京後に一子を生んだ。その母は、この娘をそのまま嫁にやったところ、夫はこの赤子を室田穂に捨ててしまった。そこに鶴が飛来しこの子を育て、その後、この赤子は狩人に拾われ、里人はこの赤子が田村麻呂の実子であることを知り鶴子丸と名付け養育した。鶴子丸は、平城天皇の御世に上洛して父に対面し、参内して浄野と称し、奥州探題職を受けた。奥州下向後に仙道のうちに城を築き三春と名付けた。

三春の滝桜は、三春の成り立ちと共に歴史を刻んできたといえる。