福島県田村市船引町東部台6丁目

2015/03/23取材

延暦20年(801)、征夷大将軍坂上田村麻呂は桓武天皇の命を受けて、蝦夷征討のためにこの地に到り、戦勝祈願のためにこの宮に詣で大鏑矢を奉納した。蝦夷を征伐した田村麻呂は、従者に命じこの宮を守らせた。

その後、田村庄の船引城主の崇敬を得て、その祈願所となった。

この神社には、「夫婦獅子舞」が伝えられ、毎年正月三日に、氏子中を渡御する。この獅子舞は大同2年(807)の平城天皇の時、この地より北方の丘陵の「時の宮」で、牡獅子と雌獅子の二頭の獅子頭が天降った。里人らがこれを持ち上げようとしたがかなわず、大鏑矢神社の神官がこれを動かしたところ、楽々と持ち上げることができ、大鏑矢神社に遷された。

舞は、二頭が寄り添い頭を小刻みに振りながら舞う、夫婦の睦まじい姿を表しているとされ、氏子家庭の安全と、産業の繁栄を祈願する。