福島県二本松市本町一丁目(称念寺境内)

2012/11/01取材

 

称念寺には地蔵堂があり、日切地蔵尊が祀られている。本尊は六寸余の木造で、畠山四代の畠山満泰が守り本尊として安置したものと伝えられる。

元治元年(1864)3月、水戸藩の武田耕雲斎を中心とした尊王攘夷派(天狗党)が筑波山で挙兵した。このとき二本松藩の日野源太左衛門は、その討伐を命じられ討伐隊長として出陣した。

源太左衛門は、日頃から日切地蔵尊を篤く信仰し、この出陣の際に地蔵尊の守り札を肌身につけ天狗党が立て籠もる筑波山を取り囲んだ。戦いは乱戦になり、源太左衛門の率いる一隊は危機に陥り進退きわまった。この時、天狗党の放った矢が源太左衛門を襲ったが、あわやと言うときに、一丈あまりの大入道が源太左衛門の乗馬の前に現れた。

矢は源太左衛門の胸部を貫き、馬上から転落し、しばらくの間気を失ったが、気付いてみると矢は胸の守札に命中しており、源太左衛門は一命をとりとめた。

これは日頃信仰している日切地蔵尊が、身代わりになってくれたためと源太左衛門は感じ入り、帰藩後、八尺余の石地蔵尊を称念寺に奉納した。

その後、この守札を受けて出陣したものは、皆無事に帰藩すると伝えられ、多くの者から信仰を集めた。