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福島県いわき市常磐湯本町

 

温泉が地表に湧出していたところを湯壷と言い、江戸時代には湯本に53の湯壷があったと伝えられる。

いわき湯本温泉は、明治時代末期までは、地表に温泉が湧出していた。これは地下の第三紀層が断層で切られ、盆状構造であったために温泉が滞留しこのような現象が起きていた。この温泉が湧出していたところを「湯壷」と言い、また広さが一坪ほどであったことから「湯坪」とも呼ばれていた。

しかし、明治時代初期から、石炭の本格的な採掘が始まると、湯壷の温泉源は低下し、大正8年(1919)秋には、湯本の地に温泉を見ることはできなくなってしまった。その後炭鉱側との協議により昭和17年(1942)に温泉は復活したが湯量は十分ではなく、昭和51年(1976)の炭鉱閉山後に炭鉱跡で源泉ボーリングを行った。現在は新源泉から高温で無色透明の温泉が豊富に利用できるようになり現在に至っている。