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福島県福島市飯坂町舘ノ山…舘ノ山公園

 

別名:鵬城、丸山

福島市飯坂にある舘の山公園が大鳥城跡である。大鳥城は、保元2年(1157)に佐藤基治によって築かれたと伝えられる。佐藤氏は奥州藤原氏の一族で、信夫庄の庄司であった。源義経に従った佐藤継信、忠信兄弟は、この信夫の庄司佐藤基治を父とする。

大鳥城は西に連なる尾根を切断し、土塁を築き、山腹に清水井戸を掘り構築された山城である。南には小川、北側には赤川、東には摺上川と3つの川が流れており、大鳥城の堀の役目を果たしている。山頂部には主郭、その西側には櫓跡と呼ばれる郭が存在する。

現在は、山頂部の曲輪と堀切や井戸跡が残っている。佐藤基治在城中の居館は、現在大鳥中学校、飯坂球場が立地する東山麓部分にあったものと推定されている。そのさらに東側には大門の地名が残っており、大鳥城への大手門があったと推定される。白鳥を埋めて守護神としたことから大鳥城と称した。

佐藤基治の子の継信、忠信兄弟は源義経に従って出陣し、継信は讃岐屋島で義経の身代わりに矢を受け討死、忠信は京の義経館で鎌倉勢と戦い自刃した。父の佐藤基治は、文治5年(1189)8月、源頼朝が奥州征伐で信夫の庄に入ると、平泉軍の前衛として石名坂に陣を敷き、源頼朝率いる奥州征伐軍と戦って敗れ、その際に大鳥城も落城したとされる。基治は捕らえられ首をはねられ、その首は阿津賀志山経岡に晒されたという(異説あり)。

佐藤一族はその後赦され、本領の大鳥城にしばらく居城していたと考えられる。また平泉時代に本吉地方を始めとした諸所に一族が配されており、また13世紀に入り、伊勢地方に移り、郷士となり福島に残った一族もあり、全国に佐藤氏が散らばった。

江戸時代の元禄期に、この地を松尾芭蕉が訪れた。芭蕉の旅の目的は松島をはじめとした歌枕を訪ねる旅でもあったと同時に、義経の旧跡を訪ねる旅でもあったようだ。飯坂ではこの大鳥城と医王寺を訪ね、佐藤一族に思いを致し涙している。

奥の細道には次のように記されている。

月の輪のわたしを越て、瀬の上と云宿に出づ。佐藤庄司が旧跡は、左の山際一里半計に有。飯塚の里鯖野と聞て、尋たずね行に、丸山と云に尋あたる。是庄司が旧館也。麓に大手の跡など、人の教ゆるにまかせて泪を落し、又かたはらの古寺に一家の石碑を残す。中にも二人の嫁がしるし、先哀也。女なれどもかひがひしき名の世に聞えつる物かなと袂をぬらしぬ。堕涙の石碑も遠きにあらず。寺に入て茶を乞へば、爰に義経の太刀・弁慶が笈をとヾめて汁物とす。

笈も太刀も 五月にかざれ 帋幟  …芭蕉

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