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青森県外ヶ浜町三厩龍浜

竜飛岬は、青函トンネルの海底部工事の坑口にあたり、この地に記念館がある。記念館では、構想から完成までを音と映像、それに資料パネル、立体モデルなどでわかりやすく展示公開している。また海底下140mの坑道まで、日本一短い私鉄の「青函トンネル竜飛斜坑線」のケーブルカーで、わずか8分で下りることができる。

青函トンネルは、本州の青森県今別町浜名と北海道知内町湯の里を結ぶ、JR北海道の鉄道トンネルである。津軽海峡の海底下約100mの地中を穿って設けられたトンネルで、全長は53.85 kmである。これは昭和63年(1988)の開業から2012年現在まで、交通機関用のトンネルとしては世界一の長さである。新幹線規格で建設されており、将来北海道新幹線も通る予定になっている。

トンネル内には、列車火災事故などに対処するため、吉岡海底駅と竜飛海底駅の2つの駅があり、見学を行う一部の列車の乗客に限り乗降できる。また、青函トンネルは通信の大動脈でもあり、光ファイバーケーブルが敷設されており、北海道と本州を結ぶ電信、電話の重要な管路となっている。昭和38年(1963)着工、昭和63年(1988)開通した。工事全体での殉職者は34名、竜飛岬に殉職者の慰霊碑が建っている。

かつては、青森駅と函館駅を結ぶ鉄道連絡船として青函連絡船が運航されていた。しかし、1950年代には、朝鮮戦争によるものと見られる浮流機雷がしばしば津軽海峡に流入し、また昭和29年(1954)9月に、台風により洞爺丸他4隻が遭難するなどの事故が相次いで発生した。これらを受けて、太平洋戦争前からあった本州と北海道をトンネルで結ぶ構想が一気に具体化した。

当初は在来線規格での設計であったが、整備新幹線計画に合わせて新幹線規格に変更され建設された。トンネルは在来工法により建設され、工事費は周辺工事も含めて約9,000億円に上った。しかし完成時には北海道新幹線の建設が凍結になり、旅客輸送は既に航空機が9割を占め、完成後も大量の湧水を汲み上げる必要があるなど維持コストも大きいことから、放棄した方が経済的であるなどの議論があり、「無用の長物」、「泥沼トンネル」などと揶揄されたこともあった。

しかし、開通後は北海道-本州間の貨物輸送に重要な役割を果たしており、天候に影響されない安定した安全輸送が可能となっている。特に北海道の農産物の輸送量が飛躍的に増加するなど、JR北海道にとっては赤字事業であるものの外部効果は高い。