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青森県七戸町見町

2013/04/27取材

 

 

 

長福寺の一堂として、南部政光が、長慶天皇の菩提を弔うために建てたと伝えられる。

南部政光は、七戸の地を根拠地としていたが、文中元年(1372)八戸南部氏を相続し第八代当主となった。一貫して南朝を支えていたが、明徳4年(1393)南北朝は統一された。晩年には甥の長経に八戸の地を譲り、自身は七戸に居を構え、子孫は七戸氏として続いた。

堂は、正面3間、側面3間で、宝形造柿葺。度重なる修理によって当初の姿は大分失われてはいるが、技法の上では、かなり古い箇所もいくつか残されており、内部の来迎柱廻りなどに当初の面影をしのぶことができる。

また、絵馬や羽子板などが多く残されており、創建当時からのこの地域の人々からも厚く信仰されていたことが伺える。

特に羽子板は、画風は中世風で、柄尻には菊紋を彫刻しているものもあり、室町期を下らない時代のものも多くあり、これらは現存するわが国最古の羽子板といえる。