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秋田県横手市雄物川町字根羽根子沢

2016/07/29取材

 

館森館は上法寺川左岸の北から南に延びた比高約15mの丘陵上に築かれた館である。城の規模は東西約70m、南北約200mほどと思われ、段丘崖を自然の切岸としたシンプルな作りである。館の南側には本荘街道が通っている。現在は畑地と住宅地になっており、その地形にわずかに館跡の名残が見られるだけで、土塁・堀などの遺構は認められない。

この地は縄文時代前期末から中期前葉期の根羽小沢遺跡跡でもあり、台地上に長方形大型住居跡が列状に並ぶ集落跡や三基の配石が見つかっている。古い時代から、この地域の中心だったと考えられる。

戦国期には小野寺氏一族の山内弥八郎の居館であり、由利郡との境目の館として、由利勢に対する押さえの機能を担ったと思われる。

天正10年(1582)、小野寺輝道は織田信長に拝謁するため上洛を企画、留守中の領内の安定を図るため、由利十二頭に人質を要求した。しかし小野寺氏のもとに送られた石沢氏の母、赤尾津、岩屋、滝沢、仁加保、内越からの人質が自害をしたため、由利十二頭は激怒し、大沢に侵攻し小野寺勢と激突した。戦いは大乱戦となり、双方ともに多くの犠牲を出し、日没になりともに兵を引いた。小野寺氏は由利十二頭からの人質を返し、一応の収束をみた。

その後、関ヶ原の戦いで小野寺氏は東軍の最上氏と反目し、領地は没収され没落し、家臣の多くは帰農した。その時期にこの館も廃城となったと思われる。