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秋田県横手市金沢本町根小屋

2015/09/15取材

 

この川は、後三年の役の際に激戦があった金沢柵の北側を流れている。

後三年の役の際の寛治元年(1087)、源義家と清原清衡の軍は、この地の金沢柵を攻めた。義家に従っていた鎌倉権五郎景正は、わずか16歳で初陣し、多くの手柄を立てていた。しかしこの地の戦いで、敵に右目を射られてしまい、その敵は逆に射殺したものの、激痛でこの場を動けなくなってしまった。

同僚の為次が、その矢を抜こうと権五郎の額に足をかけたところ、権五郎は刀を抜き「生きながら面を踏まれるのは我慢がならん」と、為次を下から突こうとした。為次はその無礼を詫びて、改めて膝を屈してその矢を抜いてやり、権五郎は川の清水で傷を洗った。その後、この厨川では、右目の見えない片目のカジカが見られるようになったと伝えられる。

この右目を射られながらも奮闘した逸話はこ、各地に伝えられているが、その原型は「奥州後三年記」に残されており、後年歌舞伎で取り上げられ、各地に広がったものと考えられる。