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秋田県秋田市八橋

2016/07/27取材

 

八橋油田(やばせゆでん)は、昭和20年代後半から30年代にかけては国内最大の油田であり、現在も産油を続けている数少ない油田のひとつである。

現在の秋田市八橋・寺内地区の草生津川流域は、古くから自然に油の出る場所があった。慶応年間(1865~68)、これに注目した旧久保田藩の御用油商人の千蒲善五郎は、明治2年(1869)から本格的な採油を開始した。明治5年(1872)に東京から石油ランプを取り寄せて、ランプと灯油の販売を試みたが、当時の精製技術は粗雑で悪臭が発生し、売り上げは芳しくなく、事業として成り立たなかった。本格的に石油産業が活発になるのは明治20年代になってからである。

明治40年(1997)頃から本格的に調査、試掘が行われていたが、昭和10年(1935)に日本鉱業が本格的に産油を開始した。日本石油も開発に乗り出し、産油量は拡大し、北部の黒川油田とも合わせ、秋田県は日本国内の70%以上を産油する石油王国といわれるようになった。八橋と黒川で産出された原油は、主に土崎港地区と船川地区の製油所で精製され、日本各地に送られた。

戦後この地の油田は、帝国石油が開発し、各地に油井を掘って産油にあたった。昭和30年代には年産30万キロリットル(190万バレル)に達するなど、北海道や新潟の油田を抑えて国内最大であった。しかし、昭和40年代以降、産油量は急激に衰退し、現在の産油量は当時の1割以下になっており、現在も産油量は減少傾向にある。