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秋田県北秋田市阿仁中村

2016/04/05取材

 

この地域には、「七不思議石」の伝説が伝えられている。

 

・瘡石

昔、打当中ノ又金山が栄えたくさんの鉱山師が探鉱していた時代に、仙北から2~3才の子どもを背負い若い女がこの地にやってきた。夫が金山に出稼ぎに出たきり帰って来ないので探しに来たと云う。女は大変疲れた様子で、子どもも顔には一面に瘡ができて声は弱々しかった。気の毒に思った村人は、「金山まではまだ三里もあり、明るいうちには着けない。今日は私の家に泊まり、明日の朝にでかけたら」とすすめたが、女は「一刻も早く夫に会いたいので」とお礼を言い山へ入って行った。

翌日、村人が所要のため打当へ行く途中、石の上に寝かせた子どもを抱くようにして伏せている女を見つけた。それは昨日、夫を訪ねてはるばるやってきた女に違いなかった。「この四月の寒空に…」と、村人は女を起こそうとしたがすでに息絶えていた。村人は驚き子どもに手をあててみると、子どもはゆりかごに入っている姿をしたまま石になっていた。知らせを聞いた村人たちは二人をねんごろに供養した。

それから毎年四月の命日には、カサ一面の石になってしまった子どもの供養をしていたが、いつの間にか、子どもの瘡病の悪病よけの神様として信仰されるようになったという。

 

・駒爪石

昔この地に馬長者と呼ばれていた喜三郎が住んでいた。遠くから名馬を入れて繁殖改良に努めていた。ある年、恒例の馬の品評会の時、長い冬から解放され喜ぶ子馬たちは喜び跳ね回っていた。その中に、ひときわ目立って毛並みのいい元気な青の二歳駒がいた。この馬は、村一番の親孝行で馬が好きなイシが手塩にかけて育てた馬で、このアオが生まれたとき母馬は難産で死んでしまった。イシは豆乳をつくり家族同様に育ててきた馬だった。

元気に林の中を走り回っていたアオが、道端にある大きな黒光りする石の上を飛び越えた。するとその大石の上にアオの蹄跡がくっきりとついた。村人たちは驚き触ってみると彫り刻まれたように鮮やかに蹄跡が残されていた。喜三郎もこれを見て驚き、アオをイシから譲り受け大切に飼育した。

以来、アオを父親として多くの名馬が生まれた。やがてアオも年老いて亡くなり、喜三郎はアオをこの蹄の跡の付いた石の傍に埋葬して、馬頭観音堂を建てて、馬産と名馬の生産を祈願するようになったという。