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韓国は建国の始まりから「嘘、」なのだ。パククネ氏が大統領時代に、日本に対して「正しい歴史認識、」を求めて、「歴史を見ないものに未来はない、」と言ってたが、全くの「おまいう」発言でそれをそっくりお返ししたい。

韓国はことあるごとに自国を「第2次大戦の戦勝国である、」と主張し、学校の教科書でも「韓国人は連合国の一員として日本と戦った、」と教えている。

だが、事実は全くその逆である。韓国は日本が太平洋戦争に敗れて、日本だった朝鮮半島が日本本土から切り離され、韓国はタナボタで独立した。アメリカに逃げていたイスンマンがタナボタ大統領になって、連合国側に盛んに「戦勝国、」としてアピールした。それがそもそもの「嘘、」なのだ。

日米開戦に至るまで、朝鮮の人々は日米交渉を固唾をのんで見守り、米国の一方的要求に切歯扼腕した。「米英撃つべし、」の声が日増しに高まり、1941年12月8日、真珠湾奇襲が報じられると、彼らは内地の日本人に勝るとも劣らぬほど熱狂し「聖戦完遂、」に立ち上がったのだ。

太平洋戦争中は朝鮮半島は日本だったわけで、朝鮮人は、間違いなく朝鮮系日本人だった。そして太平洋戦争を日本として連合国と戦った。それでも日本は、併合して、まだ日本としての歴史が浅い朝鮮人に対しては、徴兵をしなかった。にも拘らず、志願者を募った際には、特別志願兵募集に朝鮮の若者が殺到した。42年には、採用数4077人に対し、25万4273人が応募している。これは適齢期の健康な男子の大半が志願したことになる。また儒教国家である朝鮮では、応募するには父母、親族の許しが必要であり、太平洋戦争に対する朝鮮民族全体の圧倒的な支持があったことがうかがわれる数字である。

このような高倍率を突破して合格した青年たちは、当然ながら優秀であり勇敢だった。それに朝鮮人だからと言う差別もあまりなく、優秀であれば陸軍士官学校への道も開かれており、現にホンサイク陸軍中将や、キムソゴン陸軍大佐がおり、元大統領のパクチョンヒも、陸軍士官学校を卒業し、満州国軍中尉だった。

朝鮮半島では朝鮮臨戦報国団全鮮大会が開催され、戦後商工大臣になった詩人のチュ・ヨハンは「一億同胞…なかんずく半島の二千四百万は渾然一体となって大東亜聖戦の勇士とならんことを誓う、」と演説し、また戦中には映画館では日本の勝利を伝えるニュース映画で、大いに沸きあがったとも伝えられている。韓国が連合国側で戦った「戦勝国、」などというのは真っ赤な嘘なのだ。

北朝鮮にしても「抗日戦争、」を担ったとして統治の正当性をうたっているが、これにしても、満州で、中国共産党軍として、非武装の民間人を襲い、略奪、殺人を繰り返し、逃げるところを日本軍に追撃され、旧ソ連に逃げ込んだ脱走兵で、日本の敗戦まではそれっきりだった。

タナボタ大統領の李承晩は、韓国は戦勝国とする「嘘」を叫び、日本の対馬と九州の割譲を主張した。しかし、当然誰からも取り合ってもらえず、メンドクサイ国として「第三国、」と呼ばれるようになった。

韓国の光復軍を「独立軍、」として独立の中核としているようだが、国民党軍の傘下にあり、特に戦うこともなく、内部で左派と右派に分かれて内部抗争していただけだった。日本の敗戦間際に、日本軍の朝鮮系部隊に投降を呼びかけるために10人程度が駆り出されて、少しウロウロしたのが唯一の「抗日、」だったようだ。

陸士出身のキムソゴン氏は、その後、朝鮮戦争の際に、かつての日本軍朝鮮人部隊を率いて決死の戦いを行い、釜山に追い詰められた韓国を救った救国の英雄であり、パクチョンヒは、最貧国だった韓国を、日本からの資金協力を得て、ハンガンの奇跡を起こし、現代の韓国への道を開いた。歴史的にはもちろんプラス面もマイナス面もあるとは思うが、それをプラス面を見ることなく、「親日的、」だったとかで、非難の的にしてしまっている。

恐らくそれは、そもそもの始まりから「嘘」だったことを少しでも消すために、「抗日、」「反日、」を掲げ、本来であれば韓国の恩人であるキムソゴン氏やパクチョンヒ氏の名誉を踏みにじっているのだろう。憐れなるは韓国民。「歴史を見ないものに未来はない、」だよね。