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近未来中国大崩壊②、クーデター瀋陽軍北京入城、習近平逃亡

ヤクザ国家、中国凶産党政権崩壊のために日本は何ができるか

南シナ海での交戦についてアメリカは「国際法に基づき、公海上で訓練を行っていた艦隊に対して、中国は大規模な攻撃を行った」と強い口調で非難の声明を出し、この攻撃を行った軍事拠点に対して、徹底した空爆を行うことを宣言した。アメリカの第七艦隊と、すでにインド洋に展開していた「セオドアルーズベルト」を中心とした第三艦隊、フィリピンのクラーク基地などからは、次々と空爆機が飛び立っていった。この一連の戦闘で、南シナ海の軍事基地はもちろん、中国本土のミサイル基地、沿岸部の南海艦隊、東海艦隊の軍港などは徹底的につぶされ、またドッグ入りしていた空母や造船設備も破壊された。

中共政権は、「中華民族の偉大なる復興」を掲げ、民族主義を煽り、「新型大国関係」をアメリカに求めていた。しかしこの無様な敗北で、中共政権の権威は一気に地に落ちた。北京では、反米反日暴動が荒れ狂ったが、実際にはその矛先は中共政権に向けられていた。しかし中国政府にそれを止めるだけの力はすでになかった。暴動は、初めこそアメリカや日本の関連企業や店舗などが襲撃されていたが、次第に国営企業や政府庁舎にまで及ぶようになった。周辺部の工場は操業を停止し、北京市内は建物や車に放火され黒煙が立ち上り、時折、銃声や爆発音が響いた。しかし、これまで北京住民を悩ませていたPM2.5のスモッグは晴れ、北京には青空が戻っていた。

この2ヶ月後の11月、中国の軍区の内の、かつて薄熙来が掌握していた、東北地区の瀋陽軍がクーデターを起こし、東北地区を掌握した。瀋陽軍は、戦車、ミサイル、歩兵から構成される機械化軍団は全体の70%を握っており、他の軍区と比較しても突出して強い力をもっていた。その瀋陽軍が翌年の4月、北京に向けて進軍を始めた。

これに対し、首都防衛を担当する北京軍には、最新兵器が優先的に配備され人員の練度も高かった。また青島に司令部を置く北海艦隊は、南シナ海海戦に参加しなかったため、この時点では無傷であったが、指揮系統からすると瀋陽軍に属するのだが、北京軍についた。すでにこの時点で、中共政権の求心力は失われており、他の軍区からの兵力の移動はほとんどできなかった。

瀋陽軍の戦車の大部隊は、瀋陽から海沿いに西進し、長城の東端である山海関で北京軍と激突した。瀋陽軍は、戦車の数では北京軍を圧倒していたが、瀋陽軍の戦車部隊は、北京軍の最新の空軍力を駆使しての爆撃と、湾内に入り込んだ北海艦隊からの艦砲射撃にさらされ先に進むことが出来なくなった。一月ほどの間、山海関を挟んで消耗戦が続いたが、その年の6月、台湾が独立を宣言した。この時、台湾が大陸侵攻し南京を占領したと云う噂が同時に広がった。実際には独立を宣言しただけで、大陸侵攻の事実はなかったが、北京軍の戦車部隊は退却をはじめ、習近平は、済南軍区の司令部のある済南を首都として臨時政府を設置した。

瀋陽軍はその後大きな抵抗もなく北京へ入城し、政治犯として収容されていた薄熙来を首班として、中華人民共和国の正当な継承者として国際社会に宣言した。しかしその勢力範囲は、北京から北側の東北地方一帯にかけての地域の、かつての瀋陽軍区と北京軍区のみで、済南軍区、南京軍区、広州軍区、成都軍区、蘭州軍区の動静は混沌としており、北京軍区においても、北西の内モンゴル自治区では、漢民族とモンゴル民族の住民同士の衝突が激しくなっており混沌としていた。

そしてついに、台湾の独立宣言に刺激されるように、内モンゴル、ウィグル、チベット、香港の独立勢力、さらには南京軍区、広州軍区が、台湾と海外のチャイナマネーと結びつき独立の動きを見せ始めた。