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ここでのストーリーは、韓国駆逐艦の海自機へのレーダー照射事件を巡っての、一連のファクト、及び、裏付けを取りようもない不確実な情報、そして北朝鮮と韓国の現状からの推測を交えた仮説である。

2018年11月、金正恩は、元山カルマに建設している、大規模観光施設への視察を行った。海外から観光客を呼び込み、外貨を得る計画だった。

しかしその計画は杜撰なもので、また、いわゆる「速度戦」で、元山市内の住民の多くが建設現場に動員され、現場で寝泊まりしながら工事に従事させられていた。また軍も投入され昼夜にわたる突貫工事が行われていた。しかし、当然のことに、安全を無視した手抜き工事が横行し、死亡事故が頻発し、すでに7千人を超える犠牲者が出ていた。

この工事に従事していた部隊を率いる少佐は、数人の士官とともに、金正恩の視察日に合わせ、これを暗殺する計画を立てた。いたるところに密告者が存在し、また暴動を恐れて、軍隊といえども、火薬や銃器の管理は厳しく、それでも数丁の銃と少量のVXガスを手に入れることができた。

細心の注意を払っての計画だったが、それでも一部の兵の間で、噂するものがあり、平壌から保衛部の部隊が入り、少佐の部隊全員の検挙が始まった。兵たちはなす術もなく、ある者は中国国境を、またある者は38度線を越えようと散り散りに逃亡をはかった。

北朝鮮は、中国と韓国に対し、厳重な警備と、国境を越えた者の逮捕と、秘密裏の引き渡しを求めた。中国はもちろん、南北融和を進めている韓国は、この申し入れを了承した。

少佐は、暗殺が失敗した時のことも考え、ウォンサンの入り江に逃亡用の漁船を用意していた。少佐ら幹部には、現在の中朝間、南北間の情勢も知らされており、中国や韓国に脱出しても、秘密裏に北朝鮮に引き渡され、闇に葬られるだろうことは容易に推測できた。日本海を越えて日本に脱出するしかなかった。少佐らは夜の闇に紛れて漁船で脱出した。

ウォンサンで検挙された部隊の兵たちは、熾烈な取り調べにさらされたが、兵たちは、少佐らの逃亡先などを知る者はなかった。しかし中に、士官が漁船と燃料を準備していたことを知っていた者があり、これを知った当局は、捜索先を海に向けた。

それでも、北朝鮮には広い日本海の中で、小さな木造船を探索できるだけのレーダー等を備えた艦艇はなかったが、金正恩暗殺の首謀者を取り逃がすわけにはいかなかった。まして首謀者が日本に入り、暗殺事件が国際的に知られることなどあってはならないことだった。

北の金英哲は、韓国の大統領府に、少佐らを「米帝の意を受けて北の体制の転覆を計った重罪人」として、ムンジェインが政権浮揚として実現させたがっている金正恩のソウル訪問をちらつかせながら、その捕捉を依頼した。金英哲は、ムンジェイン政権下の韓国に何度かわたり、反米反日の大統領府のブレーンや軍幹部と意見を交換し、その後の軍幹部の粛清状況を把握しており、すでに韓国軍は北朝鮮の手の内にあると考えていた。

韓国海軍の首脳部は、これに抵抗したが、大統領府と、すでに粛清が進んでいる陸軍を中心とした参謀本部は、これを「遭難漁民の救出」として承諾させた。しかし、韓国駆逐艦「広開土王」に下った命令は、該当漁船が日本の領海に入る前の捕捉であり、撃沈も可とするものだった。

韓国駆逐艦「広開土王」と海洋警察艦艇1隻は直ちに出港し、大和堆に向かった。大和堆周辺には、違法操業の北朝鮮漁船が多数存在し、該当船はそれらに紛れていると考えられた。捕捉するためには、この大和堆周辺から離れ、単独で日本列島に向かう船を捜索しなければならず、木造船であるためレーダー捜索も困難なものだった。もちろん該当船が韓国船に救助信号を出すわけもなかった。

韓国駆逐艦は、該当船が木造船であることもあり、一般的な捜索レーダーはもちろん、火器管制レーダーも使用しながら昼夜の捜索を行った結果、大和堆の漁船群から離れ、日本列島に向かいつつある漁船を発見し、追跡に移った。しかし、時折見失いながらの追跡で、目視できる距離に追いついた時には、日本の接続水域の間近だった。

該当船を挟み込み、銃撃される可能性もあるため、海洋警察艦艇からは脆弱なゴムボートではなく救難艇が下ろされ、防弾服を着用した警察官が向かった。抵抗する場合は、射殺も可、の命令を受けた。遭難漁民の救助と聞いていた警察官たちは驚いたが命令に従うしかなかった。

該当船に乗り移ると、その中の一名は頑強に抵抗し、金正恩の悪政を罵り、それに追従し自分たちを北朝鮮に売り渡そうとする韓国のムンジェインを罵り、頑強に抵抗し、ついに射殺された。

この海域は、北朝鮮のセドリや違法操業、日本からの禁輸品の持ち出しを警戒する巡視船や海自哨戒機が、頻繁にパトロールしており、韓国駆逐艦はそれに備えて警戒を厳重にしていた。この北朝鮮と韓国の密約による現場を押さえられるわけにはいかなかった。

折悪しく韓国駆逐艦のレーダーには、この海域に向かってくる哨戒機の機影が映っていたが、海自機に対して通信を行えば、この場所を確定させることになり、それはできず、警戒を厳重にし、収容作業を急がせた。しかし作業が終わらない内に海自哨戒機が飛来し、哨戒活動を始めた。

韓国側の作業は、哨戒機により子細に映像に収められているはずだった。その最中に、救難艇でトラブルなどが起きれば、日本側に疑惑を持たれることになる。韓国駆逐艦の艦長は、海自哨戒機を追い払うため、火器管制レーダーを照射することを命じた。海自機からは、その意図を問い合わせる通信も入ったが、それに答えることもしなかった。

韓国側の作業は、哨戒機により子細に映像に収められているはずだった。その最中に、救難艇でトラブルなどが起きれば、日本側に疑惑を持たれることになる。韓国駆逐艦の艦長は、海自哨戒機を追い払うため、火器管制レーダーを照射することを命じた。海自機からは、その意図を問い合わせる通信も入ったが、それに答えることはなかった。

この北の3人の「重罪人」と1人の遺体は、レーダー照射が日本との外交問題になる中、厄介なお荷物になることも考えられ、何の取り調べもないまま、直ちに北朝鮮側に引き渡された。この「重罪人」たちがどのような運命をたどるのかは明らかだったが、韓国内でそれを知る者はごくわずかで、多くの韓国民は、その後の韓国政府の見え透いたプロパガンダを信じ、日本は韓国による漁民の救助を邪魔したが、北の同胞は無事救助され北朝鮮に戻ったと信じているのだろう。