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先日、韓国内の「日帝残滓」について調べていて華川ダムに行き当たった。このダムは終戦間際に日本によって完成されたもので、韓国の建設会社がつくったどこぞのダムのように完成する前に崩壊するようなものではなく、今もソウルの水がめとして70年以上も現役で使われている。このダムは朝鮮戦争において、韓国軍が挙げた数少ない勝利の地らしく、いろいろな意味で興味深く、ここではそれを少し掘り下げる。

華川ダムは、北朝鮮との国境近くの江原道華川郡に、日本統治時代の1939年に、朝鮮半島の一次電力源として計画され着工し、終戦前の1944年に完成した。

1950年6月25日に、北朝鮮軍は38度線を越えて韓国に侵攻。同月28日にはソウル陥落。7月中旬には釜山まで押し込まれていた。国連軍は釜山に橋頭保を築き、なんとか持ちこたえ、9月15日には、国連軍は仁川上陸作戦を成功させ、スレッジハンマー作戦で、アメリカ軍とイギリス軍、韓国軍を中心とし大規模な反攻が開始された。国連軍はソウルを奪回し、北進統一を目指す李承晩の強い主張もあり、鴨緑江まで攻め上ったが、中国軍の参戦で38度線まで押し返され、膠着状態になった。

華川ダムは、朝鮮半島では貴重な電力の供給源であり、また、この時期、上流、北朝鮮側の任南ダムからの過度の放流による攻撃に対する第一の防御線としても機能していた。実際に、1951年4月8日深夜、北朝鮮軍と中国軍は、華川ダムの超過放流を行い、国連軍の5つの浮き橋を使用不可能にした。

そのような事から、華川ダムは、南北双方にとって重要な戦略目標になっていた。4月16日から国連軍は中国軍が確保しているダムの無力化をはかり、B-29やスカイレーダーによる爆撃を行い、 またコルセアによる魚雷攻撃も行われた。この攻撃により、水門の一つを破壊し、他のいくつかも破損させて、洪水の脅威をやわらげることができた。

この間も、国連軍はアメリカの第九軍団を投入し、ダム周辺では多くの地上部隊による戦闘が行われダムを奪還し、アメリカの第七騎兵連隊がダムの確保を目的に投入された。中国軍はこの地域に戦力を集中し、ダムの周辺では各所で激戦が戦われた。

韓国側によれば、1951年5月26日から4日間にわたり、ダム付近で韓国第6師団と中国義勇軍との間で激戦が戦われ、中国軍に2万人を超える死者が出たとされる。しかし、主力はアメリカ第9軍団であり、第7騎兵連隊が主となって戦ったものと考えられる。

当時の韓国軍は、キムソゴンやペクソンヨブ率いる、旧朝鮮系日本軍を主とした部隊以外は、訓練も十分ではなく、士気は低く、開戦時から随所で敵前逃亡をしていた。同時期の、韓国北東部での「ケンリの戦い」では、韓国軍第3軍団の軍団長が、部下を見捨てて連絡機で逃走。部下も装備を放棄し雪崩をうって敵前逃亡した。アメリカのリッジウェイ将軍は「韓国軍の態度だけが私の悩みだった。中国軍は韓国軍部隊を次々と敗走させ、そのたび韓国軍は補充困難で高価な多数の米国供与の装備を放棄した」としている。

それでも、中国軍には多数の犠牲者が出たのは事実のようで、韓国軍はその遺体の処理を行ったのだろう。元韓国兵の記録によれば、「貯水池周辺と渓谷の一帯は敵の遺体で覆われた。わが軍の後続部隊はブルドーザーで遺体を押しながら前進しなければならなかった。中国共産軍の屠殺場だった」と記されている。

戦後、李承晩大統領がダム湖を訪れた際、この韓国第6師団が参加し勝利した、華川ダム周辺での戦闘を顕彰し、このダム湖を、「虜」(異民族、蛮族)を「破」したという意味の破虜湖として命名した。もちろん実際には、虎ならぬアメリカの第9軍団の威を借りた、狐の韓国軍の僅かな勝利だった。

2018年7月、韓国のSK建設が建設したラオスのダムは、完成前に崩壊した。しかし1944年に日本によって造られた華川ダムは、現在もソウルの水がめとして、また、北朝鮮による上流ダムの放流による攻撃からの防衛拠点として、現役で稼働している。

風光明媚なこの地は、近年、内外から観光客が訪れるようになった。中国からの観光客も多く訪れるようになったが、中国人の観光客は、その「破虜湖」の名前の侮辱的な由来を知り、反感を示す者もでてきた。そのため、中国は韓国政府に名前を変えることを要請するに至った。

中国とことを構えたくない韓国政府は、地元自治体と協議し、新名称を以前の「大鵬湖」とする案が出ているようだ。しかし、もともと日本がダムを建設する前には湖があったわけではなく、それはダム湖として当時の日本が命名したものだ。従って、日帝残滓を口にする勢力にとっては、「大鵬湖」とすることは、「日本の植民地支配を認めるもの」ということになるらしい。

また「破虜湖」の名称は、そもそも「韓国軍が勇敢に戦った」という、虚偽に近い誇大な妄想からのものではあるが、朝鮮戦争における韓国軍の数少ない戦果であり、それを誇りとする韓国民は、「韓国軍が勇敢に戦った歴史を隠蔽するもの」「中国におべっかを使うように名を変えるのは、李朝時代の中国への事大主義の復活」のように批判している。

どちらにしても悩みは深いようだが、そもそも「韓国軍が勇敢に戦った、」というのもほぼ虚偽であり、日本がダムを建設したのが「植民地の収奪のため、」もほぼ虚偽だ。歴史の真実を謙虚に受け入れれば、どうでもいいことだと思うのだが、このようなことが問題になるのは、真実を受け入れられない、韓国民の狭量な民族主義に起因するものだろう。