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天気は小雨模様から荒れ模様になってきた。天気が良いときには、もちろん美しいものはそれなりに、多くの人が最大公約数的に美しいとは感じるだろう。しかし、夕暮れ時や日の出前、朝もや、小雨模様、などなど、それぞれの状況の中で、自然は時折一期一会の美しさを見せるときがあり、私はそれがたまらなく好きであちこち歩き回っている。

実際自然は、風雨の激しい中でも美しさを見せることがある。しかし、残念ながら、私の写真撮影の技術は未熟で、美しい風や美しい雨を伝えることは出来ないでいる。その意味では、この日の天気は最悪といえた。

久慈市街地からの入り口さえ間違えなければ、道は海岸沿いの一本道で間違うはずもない。幸いなことに、車の通行はほとんどない。海岸沿いに曲がりくねった道を、風雨の中の風景を楽しみながらゆっくりと走った。「小袖海岸」の優雅な名前とは異なり、海岸は荒々しい岩壁が続く。

4、5kmほども進んだろうか、この地の名勝「つりがね洞」があった。「つりがね洞」は、夫婦が来世にいく際、この地で落ち合い、つり鐘を鳴らしてから極楽浄土にいくと言い伝えられている。この伝承には小雨が似合う。しかし小雨に煙る状態で、良い写真は撮れないだろうと思いながらも数枚撮影し、さらに先に進む。

先には、小袖漁港があり、その地は「北限の海女」の地で、「可愛すぎる海女」として有名になった19歳の海女さんが活躍している地だ。その活躍もあり、小袖漁港は海女さんの観光潜りがあるらしいが、震災の津波で海女センターは流されたはずだ。

実は、帰ってから「可愛すぎる海女」の動画を観た。綺麗な娘さんだった。その動画の中で、娘さんは「地元でがんばりたい」と言っていた。往々にしてマスコミは興味本位で引っ張り出し、賞味期限が過ぎるといともたやすく捨て去る。小袖の海女をそのような形にはしたくない。

小袖漁港に着くと急に雨が強く降り始めた。遠い岬は雨に煙り、雲は濃いグレーに海の青さを僅かに映し広がり、近場の岩は黒々とそそり立つ。当然のことながら、観光施設などは大津波に流されて何もない。雨に濡れないようにカメラをふところに入れながら、数枚の写真を撮った。

その後、北上しながら数ヶ所廻り、洋野町の種市海岸に向かった。今回の震災での大津波では、各所の巨大な防潮堤が破られた。しかし種市海岸の堤防は破られなかったはずだ。今回の旅は、慰霊の旅でもあったのだが、正直、津波の被害の様子は見たくはなかった。種市海岸の破られなかった防潮堤を写真に収め、一矢報いたいような気持があった。

種市海岸は、海水浴などのための海浜公園になっている。そこは当然、津波の被害を受けていた。海岸にごく近い家屋は被害にあっているようだったが、防潮堤が破られなかったためもあるのだろう、この町で犠牲者は出なかったらしい。不幸中の幸いである。

これまで、気仙沼や南三陸町の圧倒的な津波被害の状況を見てきた目には、被害が軽微に見える。もちろん、この地域の産業などに与えた影響は甚大なものだろうが、今度の震災は、それが軽微に見えるほどの巨大なものだったということだ。

今回の津波では、巨大な防潮堤は各地で破られ、その被害を甚大なものにした。人間の力など自然の前には非力なもので、それを思い知らされるものだった。しかしその思いとは別に、この地の破壊されなかった防潮堤は、営々とした人間の営みが、それなりに無意味なものではないことも表している。

コンクリートの塊は、それなりに人間の暮らしを救いもするが、人間がそれで自然を支配したつもりになれば、自然は手ひどく人間を打ち据える。福島の原発被害も同様だろう。人間はウラン燃料を圧力容器の中に閉じ込め、支配コントロールしていたつもりが手ひどい反撃を受けた。

人はその生活を守るために、場合によってはコンクリートの壁を巡らさなければならないこともあるだろう。しかしそれは、自然に畏敬の念を持ち、自然との対話の中から出てくるものでなければならないものと思う。

雨の中、防潮堤の上に上り、外に広がる海浜公園を眺めた。公園は津波に流され、打ち破られ、無残な姿をさらしていた。それでもこの防潮堤はこの地の人々の暮らしを守ったのだ。感謝の念を持ち、土砂降りの雨の中、この防潮堤をカメラに収めた。

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