韓国では、「悪意の反日史観」により、「手当たり次第反日」が免罪符を受けてきているようだ。それが、対馬仏像盗難事件や、地蔵尊像破壊事件などを引き起こしていると考えられる。

朝鮮半島では、李氏朝鮮時代は500年間にわたって、仏教は弾圧、排斥されていた。僧侶らは賤民に落とされ、寺院は廃され、経典や仏像も、焼却破壊された。この時期に、様々な形で仏教国である日本に、経典や仏像がもたらされただろうことは想像に難くない。

それを、無限にある可能性から、特段の根拠もなく、韓国人によって盗まれた仏像は、倭寇に略奪されたものだから返却はしないと言っている。これは盗人猛々しい「悪意の反日史観」によるものでしかない。

=====
2012年10月、対馬の海神神社の国指定の重要文化財「銅造如来立像」(統一新羅時代)、観音寺の長崎県指定有形文化財の「銅造観世音菩薩坐像」(高麗時代)、多久頭魂神社の長崎県指定有形文化財の「大蔵経」が、8人の韓国人窃盗団に盗まれた。これ以前にも韓国人により日本に所在する仏像や仏画が盗難され韓国に持ち出される事例が多発していた。

この韓国人窃盗団は韓国警察に逮捕され、韓国国内で仏像2体が回収された。本来なら直ちに日本に返還されなければならないのだが、韓国の浮石寺が、「観音寺の銅造観世音菩薩坐像は、元々倭寇に略奪された仏像である」と主張して返還しないよう求め、韓国の主要メディアも、元は日本による略奪だったので返還する必要はないとの論調で報じた。

2013年2月、韓国の地裁は、「日本の観音寺側が、仏像を正当に取得したということを訴訟で確認するまで、日本に仏像を返還してはならない」として事実上の返還拒否を決定した。

2017年1月、韓国の地裁は「所有権は浮石寺にあり、正常ではない過程で観音寺に移された」として、盗まれた仏像を保管していた韓国政府に対し、仏像の浮石寺への引き渡しを命じた。しかし日韓の外交問題となる中、韓国政府は判決を不服として高裁に控訴し、現在は「塩漬け」になっている。

所有権を主張している韓国の浮石寺(プソクサ)は、この仏像は元々は浮石寺のものであり、500年〜600年前に倭寇が強奪した仏像だと主張し、その根拠を求められたが、「根拠を示す鑑定書は仏像を失ったときに、思い出すのが悲しいので捨てた」と主張し、根拠は提示できなかった。

しかしこの仏像の腹藏遺物に、「1330年、32人が布施をして菩薩像を作り、浮石寺に奉安した」という記録があるようで、当時はこの仏像は韓国の浮石寺にあったと考えられる。

韓国では、李氏朝鮮時代に入り、14世紀終わりから15世紀にかけて、仏教は徹底的に弾圧された。浮石寺は、15世紀の初めに存続を許された88寺院の中にはなく、この時期には廃寺だったと考えられる。李朝の仏教弾圧では、僧は奴婢に落とされ、土地は接収され、経典や仏像は焼かれ破壊された。そのような際に、浮石寺などの仏教寺院は、普通に考えれば、経典や仏像を隠す、売るということになるだろう。

この時期の倭寇は、恐喝的な私貿易を主な目的とする武装海商である。また『世宗実録』の記述には「倭人は1・2割で、朝鮮の民が、仮に倭服を着して党を成し乱を作す」とある。さらにこれ以降は、倭寇と言っても偽倭と呼ばれた和服を着た中国人だったようだ。

このような時代背景から考えれば、最も可能性が高いのは、僧たちが窮乏の中で朝鮮人倭寇に売り、朝鮮人倭寇が仏教国の日本に高値で売ったということだろう。また、朝鮮の僧たちが、自身で経典や仏像を隠し対馬の日本の寺院に運び出し売ったと言うこともあるかもしれない。

もちろん、韓国側が言ってるように、倭寇によって襲撃され強奪されたということも可能性としてはありうるが、朝鮮内では隠すことも売ることもできないなか、倭寇にとっては危険を冒して襲撃する意味はなく、脅迫的に買いたたくことが現実的方法と考えられる。

この銅造観世音菩薩坐像には、一部焦げた跡があるらしく、韓国側はこれをもって「正常ではない過程で観音寺に移された」「倭寇に略奪された」としているようだが、無数に考えられる可能性から、たった一つの、倭寇(日本人)の略奪という妄想を導き出している。これこそが「悪意の反日史観」である。

李朝時代の500年にわたる長い仏教迫害時代に、朝鮮半島内の寺院や経典、仏像は燃やされ破壊された。燕山君に至っては、接収した寺院を、妓生たちとの享楽、淫行の場としている。当然、朝鮮半島の経典や仏像が、隣国の仏教国の日本に多数流出するのは当然であり、観音寺の伝承にある、「仏像は李氏朝鮮時代の仏教弾圧から守るために対馬に持ち込まれたもの」が、考えられる範囲で最も合理的な可能性であり、それ以上の詳細に関しては歴史の闇の中だ。

2013年3月に、浮石寺の僧侶と国会議員、市民団体ら6人が観音寺を来訪した。このとき、浮石寺側は、850円相当のマスコットキャラクターの人形や小型の仏像を持参したが、観音寺は「まずはうちの仏像を背負って一刻も早く持ってきて欲しい」として当然受け取らなかった。

これに対し浮石寺の僧侶らは記者会見で、「この問題の解決には日韓ともに偏ったナショナリズムにとらわれないことが重要だ」とし、「韓国は日本に仏教や仏像を伝えた。それなのに日本人は寺を燃やし仏像を奪っていった。過去の歴史を日本は認める姿勢はあるのかということ。返還して欲しければ略奪ではなく友好的に贈られたことを日本側が証明すべきだ」と語った。

それでも韓国にも良識ある方々もいるようで、検察側は「観音寺の仏像を盗んだものだ。刑事手続きで被害者に戻すのは当然のこと」と主張し、高等裁判所は、韓国の浮石寺は複製品を製作し、本物は観音寺に返却することを提案したという。しかし「悪意の反日史観」は、当然のように反発。浮石寺は記者会見で、「日本に返して我々は複製して持てばよいというのは、日帝の植民支配を正当化する論理と似ている」と裁判所の提案に反論した。

また反日韓国民は、「貴重品を盗まれ、紆余曲折の末に取り戻したのに、本物を日本に返せと?」「裁判官は何を考えている?先に盗んだ方が悪い」「裁判官は親日派?日本人?」「反対でしょ?日本に複製品を渡すべき」などと反応し、現在この裁判は結論を出すこともできずに「塩漬け」になっている。

韓国の「悪意の反日史観」を鵜呑みにしている方々は、確たる証拠もない500年以上前のできごとについて、自分たちの「反日史観」にあてはまる妄想を昨日のことのように断定的に決めつける。そして500年の長きにわたり大事に守ってきた観音寺からの盗難品を返却することもなく、自分のものだと言い張る。それをまた、反日韓国民がこぞって支援し、異なる理性的な考え方をする方々を「土着倭寇」などとレッテル張りで、感情的に抑え込もうとする。司法も、それらの問題点に気づきながらも、反日世論に押され、判決も出せず「塩漬け」にしてしまっている。これでは韓国そのものが、泥棒の上前をはねる国家と言うことになってしまう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo