===仏国寺===
仏国寺と石窟庵は、釜山の北側、直線距離で約100kmの位置にある仏教遺跡である。現在、世界遺産に指定され、韓国での数少ない歴史遺産として、観光名所となっている。
仏国寺は新羅時代の774年、宰相だった金大城が、現世での父母のために建立したとされる。最盛期には、約60棟の木造建築で寺院は構成されていた。しかし、その後廃寺となり、李氏朝鮮時代は仏教は排斥され、再建されることはなかった。
1904年頃には石壇も埋もれた状態となっており完全に荒廃していたが、日本統治時代の1924年から翌年にかけて、朝鮮総督府による再建工事が行われ、石壇・石廊を含む主要構造が修復された。2010年には、日本の仏師の福井照明が製作した四天王像など12体の仏像が寄贈され、仏国寺・聖宝博物館に常設展示されている。
朝鮮半島への仏教の伝来は、高句麗へ372年に中国から伝来した。新羅では528年に公認され、国家建設の理念として護国仏教とし保護された。その後の高麗時代でも、鎮護国家の法として重視され、国王や両班の参列の下に仏教儀式が盛んに行われた。しかし、高麗中期以降は権力と結び次第に堕落し、徐々に批判されるようになり、その後の李氏朝鮮時代の排仏運動につながっていく。
李氏朝鮮時代に入ると、儒教が国教となり、仏教は徹底的に弾圧された。僧は都の漢陽に入ることを禁止され、賎民階級に身分を落とされた。また、多くの寺院は所有地と奴卑を没収され、また破壊された。
成宗、燕山君、中宗(在位1506年 – 1544年)の時代には、仏教はさらに壊滅的打撃を受けた。特に暴君として名高い燕山君は、1504年、かろうじて残っていた2宗派の本山である興天寺と興徳寺を廃寺にし、また全土から美女を徴発し、円覚寺(現在のタプコル公園)などの寺を王の享楽の場とし、妓生らとの遊興にふけった。また中宗の時代には仏像を徹底的に破壊させた。
仏国寺はこの時期にはすでに廃寺となっていたようだが、500年にわたる長い李朝時代に再建されることはなかった。
===石窟庵===
仏国寺とともに世界遺産に指定されている石窟庵は、仏国寺の北側の吐含山の中腹にあり、もとは仏国寺の付属寺院で「石仏寺」と呼ばれていたようだ。仏国寺と同様に金大城により築造されたものと考えられている。
5百年以上にわたる李朝時代の長い仏教排斥時代で、再建されることもなく、歴史の中で忘れ去られていたのが、1909年、郵便配達員が配達のため吐含山の峠を越えようとしたところ、突然豪雨に見舞われ山中の洞窟に逃げ込み、その洞窟の中に偶然仏像を発見した。
当時の石窟庵は崩壊寸前で、倒壊の恐れがあった。天井が抜け落ち、仏像に直接雨が当たり、周囲の仏像の配置もすでに不明で、全体の半分以上が土に埋もれていた。そのため、日本統治時代の1913年から1915年にかけ、日本により三度にわたる大規模な修復工事が行われた。工事には当時としては最新の技術であるセメントが使われた。
朝鮮戦争後の1961年から1963年にかけて、韓国の文化財管理局の主導で補修工事が行われた。この際に、「仏像の配置は日本がデタラメに並べた」として、独自の並べ替えを行った。しかしその補修後、発見当時の石窟庵の写真および事前調査の詳細な配置図が見つかり、日本が行った補修・配置が正しかったことがわかったが、配置は今なお復元されてはいない。
また、韓国では「本尊となる仏像は2体あったが、1体は日本に盗まれた」と考えられていたが、学術的な調査の結果、これは誤りであり最初から仏像は1体であったことが報告されている。
この石窟庵について、韓国史の権威とされるソル・ミンソク氏は、あるテレビ番組に出演して、石窟庵は日帝により棄損されたとし、「石窟庵は数学・幾何学・科学の完ぺきな結晶体で、1千年以上にわたって完ぺきに保存されてきたが、日本が嫉妬してセメントとコンクリートを塗って傷つけた」と発言した。これを見た視聴者は、この放送以後、「日本は嫉妬で盲目になり石窟庵を傷つけた野蛮国家」として反日で盛り上がったようだ。
韓国史の権威が言う「1千年以上にわたって完ぺきに保存」は、もちろん「1千年以上にわたって、荒れるに任せ放置」されていたことであり、「セメントとコンクリートを塗って傷つけた」は、もちろん「当時の最新技術であるセメントにより大規模な補修工事を行った」ことであり、「仏像の配置は日本がデタラメに並べた」は、韓国の錯誤であり、韓国側による復元でこそデタラメに並べられ、そのまま現在も修正されていないのである。
また、「本尊となる仏像は2体あったが、1体は日本に盗まれた」の説もまた、学術的に否定されている。これらはまさに「悪意の反日史観」であり、そのような歴史歪曲、捏造、ウソの、「手当たり次第反日」が韓国では免罪符を受けてきており、前述のテレビ番組での明らかな「虚偽」も、テレビ局は謝罪どころか訂正もしていない。
そのような様々な「悪意の反日史観」が、韓国国民の愚民化を招いていると言えるだろう。それが対馬仏像泥棒事件となり、韓国の一部には、その泥棒すら英雄扱いするものもある始末だ。