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山形県庄内町清川字花崎

震災前取材

 

昔、この地に皇子が来たり、常楽という所で没した。村人達が王子塚と霊社を建ててその霊を祀ったのが始まりと伝えられる。

また、前九年の役の折に、源頼義が東夷征伐のときに戦勝祈願を行ったと伝えられ、その後、源義経が頼朝の手を逃れ平泉に向かう途中、この地に泊まり、舞楽を奏したことが伝えられている。このとき、道中の安全を祈願し奉納されたと伝えられる摩利支天の像、青葉笛、弁慶鎖鉢巻、弁慶の祈願文が残されていると云う。

近世に入ると、庄内藩主である酒井氏の崇敬社となりその庇護を受け、寛文2年(1662)に社殿の再建が行われ、元禄13年(1700)には神楽殿が造営された。これらの改修工事に掛かった費用は、総て藩費で賄われたと云う。

隋神門には、宝暦9年(1759)に完成した木造の金剛力士像が2体あり、町の指定文化財となっている。