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山形県酒田市南新町一丁目

震災前取材

 

日和山公園は酒田市の西方海岸線沿いに位置し、酒田港や最上川、日本海が一望でき、遠く飛島も望むことができる。

江戸時代の寛文年間(1661~73)に、河村瑞賢は酒田の日和山に、米の積出しの米置場を設け、幕府の御用米を江戸に送る為の西廻り航路を開いた。これにより、最上川舟運により、出羽各地から物資が集積する酒田は、西廻り航路の基点になった。文化10年(1813)、この地に北国廻船の航海安全を祈って常夜燈が建てられ、また明治28年(1895)には日本最古級の木造灯台が建造され、港町酒田を代表する場所となっている。

酒田は、武家の支配する封建時代のなかで商人による自治を貫いた町で、港には上方から、そして江戸からたくさんの物や人が出入りし、洗練された自由闊達な文化が育まれた。日和山はその商人文化の基点でもあり、松尾芭蕉、与謝蕪村をはじめとした多くの文人墨客をこの地にひき付けた。

明治のはじめに公園用地となり、明治23年(1890)頃に日和山公園と呼ぶようになった。現在は公園として整備され、日本最古の白亜六角灯台、木造洋風医院造り、修景池に浮かぶ縮尺二分の一の千石船など歴史的背景の施設や桜並木があり、酒田市民の憩いの場となっている。